ブッチャーは「ファンの皆さん、東京に帰ってきました。ひとつだけ足りないことがあります。ジャイアント馬場がここにいてくれれば完璧だった。若い人たちに言いたい。自分の親が歳を取っても決して老人ホームにぶち込んで忘れるようなことはするな。いずれは歳を取ってとってそういう事になるんだから親を大事にしろ。それだけは言いたい。忘れるんじゃないぞ。みなさん本当にありがとうございました」
三沢さんが全日本に入門した81年から、日本テレビのアナウンサーとして親交があった徳光和夫(68)=現フリー=は弔辞で「私利私欲を考えずプロレス界のため、人のために尽くした人」「ウソをつかない。人の誤りをきちんと正す。私腹を肥やさない」と人柄を紹介。「オバマ大統領のリーダーシップが君と重なりました」と惜しんだ。
徳光は「(最後に会った)1月下旬の様子は、言えないほど疲れていた」と回想。「死して名を残すのは男としての本懐。男として立派な人生を全うしたんじゃないか」と、故人をしのんだ。また、大相撲の富士ケ根親方(元小結大善)らも弔辞を読んだ。
6月13日にリング上の事故で急逝したプロレスラーの三沢光晴さん(享年46歳)=ノア=のお別れ会「DEPARTURE(旅立ち)」が4日、ホームリングのある東京・有明のディファ有明で営まれた。当初、一般参列者は5000人が見込まれていたが、5倍にもあたる約2万5000人が詰めかけ、長蛇の列は距離にして最大2・4キロにまで及んだ。第1部の来賓約1000人と合わせ、2万6000人という多くの関係者、ファンに別れを惜しまれながら天国に旅立った。
三沢さんが、多くの人と花に埋もれて盛大に旅立った。GHCヘビー級チャンピオンベルトを巻き、雄々しく見下ろす等身大の遺影に向かい、2万5000人が花をささげた。「みさわぁ、ありがとう!」と絶叫する男性がいれば、気を失い救急車で運ばれる女性もいた。献花台に使われたリングはトップロープから花があふれた。エメラルドグリーンのマットには全国から集まった人々の思いがぎっしり詰まった。
ホームに帰ってきた三沢さんに最後の別れを告げるために集まった参列者は約2万5000人。記帳受け付けの午後6時が過ぎ、日が沈んでも絶えることはなかった。蝶野正洋、曙らレスラー・関係者だけで行われた第1部には約1000人が集まり、一般には1時間後の午後2時から開放。最前列は前日午後4時半から並ぶ徹夜組だった。昼過ぎから人が集まり出し、午後4時をピークに1万人超え。会場のディファ有明から約200メートル離れた最寄り駅の新交通ゆりかもめ「有明テニスの森駅」では、最後尾に並ぶために2駅離れた「新豊洲駅」まで再び乗車して移動する人々の姿も多く見られた。
プロレス界では99年4月に東京・日本武道館で行われた故・ジャイアント馬場さん(享年61歳)のお別れの会の2万8000人に次ぐ規模。献花の列は距離にして最大約2・4キロに及んだ。午後2時過ぎには所轄の警察・消防から「安全上、予定時間の午後6時までに終わらせるように」との通達を受けたほどだった。中央区の晴海と江東区の豊洲を結ぶ全長580メートルの「晴海大橋」は片側の歩道が渡り切る寸前まで人で埋め尽くされ、3時間かけて献花台にたどりつく状況だった。最後に献花した都内在住の廣田麗子さん(30)は「三沢さん、今までありがとう」と話し涙ぐんだ。2万6000人の思いを集約する言葉だった。
◆主な参列者 ▽プロレス関係者 長州力、藤波辰爾、坂口征二、蝶野正洋、永田裕志、獣神サンダー・ライガー、天山広吉、佐々木健介、北斗晶、曙、谷津嘉章、ザ・グレート・カブキ、田中将斗、金村キンタロー ▽芸能関係者 徳光和夫、イジリー岡田(順不同、敬称略)スポーツ報知より引用しました。
悲劇を繰り返すな!!プロレス団体「ノア」の社長兼選手として活躍した三沢光晴さん(享年46)が13日の試合中に頭を強打して死亡した事故を受け、大手3団体のトップが18日、都内の自民党本部に招かれ、文部科学部会・文教制度調査会の合同会議で再発防止策や健康管理について意見交換した。三沢さんの47回目の誕生日だったこの日、全日本の武藤敬司社長(46)、新日本の菅林直樹社長(44)、ノアの仲田龍・取締役統括本部長(47)らが、日本プロレス史上初となる「統一コミッション」の設立に協力していくことを表明した。
三沢さんは13日夜、広島市内での試合中に相手選手がかけた技で頭から落ち、搬送先の病院で死亡が確認された。不世出の天才レスラーを襲った悲劇-。今回の事故により、“スポーツ”という枠には収まらない、特殊な世界であるプロレスの体質に、抜本的な見直しが求められている。
会議は「格闘技興行における事故死について」という議題で行われた。元プロレスラーで、同部会長の馳浩衆院議員は「6月18日は三沢選手が生きていれば47歳の誕生日。あらためてお悔やみする」とあいさつ。現役プロレスラーの神取忍・参議院議員や、プロレスに縁のある森喜朗元首相、松浪健四郎・衆議院議員も出席した。議員からは「プロレス業界には統一された協会がなく、コミッショナーもいない。今後、どうするのか。この現状の中で最低限のルール作りをすべきではないか」との声があった。
90年6月の新日本・福岡大会で一時心肺停止状態となった経験のある馳会長は、健康管理について厳密に規定している日本プロボクシングコミッションを参考例として挙げ、「自主的に手を取り合って2度と事故を起こさないように取り組んで欲しい」とした。さらに「こういうルールのもとで選手を育成し、万一のことがあったらこうなる-というのがないと誰も安心して業界に入らない」と訴えた。
3団体は「統一ライセンス発行」について今年3、5月に会合を行い、今月24日に予定されていた会合を経て7月に発表予定だった。だが、今回の事故で、さらに進んでコミッションの設立を求められたことになる。
武藤社長は「統一的な機構ができるか、トライしていくことがプロレスのためになる」と話し、菅林社長も「統一された協会に進んでいくと思う」。仲田本部長は「1日も早く統一した協会を作らなければならない。三沢もそれを望んでいると思う」と語った。あまりにも大きな犠牲と引き替えに、プロレス界が一枚岩になりつつある。[デイリースポーツ]
スポーツ報知より引用しました。
三沢が、死んだ―。日本のプロレス界を代表するプロレスラー・三沢光晴さんが、帰らぬ人となる痛ましいリング事故が起きた。13日に広島市中区基町の県立総合体育館(広島グリーンアリーナ)で行われたプロレス団体「ノア」広島大会の試合中に頭部を強打し、心肺停止に陥った。市内病院の集中治療室に搬送されたが、処置のかいなく搬送先の広島大学病院で亡くなった。46歳の若さだった。
試合は午後8時10分頃始まり、事故が起きたのは試合開始25分過ぎだった。三沢さんは、メーンイベントの60分1本勝負のGHCタッグ選手権試合に若手の潮崎豪(27)と組んでタイトルに挑戦。王者組の斎藤彰俊(43)のバックドロップを受け、後頭部をマットに強打し、意識不明となった。
浅子覚トレーナー(38)がリングに上がり、声を掛けたが、三沢さんは息をしていない状態で心臓が止まっていた。観客席に居合わせた医師がリングに駆け上がり、心臓マッサージ、自動体外式除細動器(AED)による蘇生が試みられたが三沢さんは全く動かなかった。この間リングサイドのファンから「ミサワ、ミサワ」とコールが上がり、搬送後も約2300人の観客で埋まった会場は騒然とした状態が続いていたという。
複数の関係者によれば一時は心臓が動いたというが、搬送先の広島大学病院の集中治療室での懸命の救命措置のかいもなく、一度も意識が戻らぬまま午後10時10分に帰らぬ人となった。救急車に付き添った百田光雄副社長(60)が最期をみとったという。選手らは試合後、病院に駆け付け一時は解散。宿泊先の市内ホテルで待機していたが、14日午前0時前に再び病院に全員呼ばれて訃報(ふほう)を伝えられたという。まだ46歳。18日には47歳の誕生日を控えていた。
広島県警は試合関係者らから事情を聞き、当時の状況を調べている。
レスラー歴28年の三沢さんはレスリングの名門、足利工大付高出身で3年時に世界ジュニア選手権に出場、国体で優勝した。81年3月に故・ジャイアント馬場さんの全日本プロレスに入門し同年8月21日にデビュー。蝶野正洋、武藤敬司、05年7月11日に急死した橋本真也さんらと肩を並べるトップレスラーで、00年7月7日にプロレス団体のノアを旗揚げし、社長業との二足のワラジをはく激務をこなしてきた。2代目タイガーマスクとしても知られ、華麗な空中殺法や投げ技の「エメラルドフロウジョン」は代名詞。「プロレスの教科書」とも評されるほどレスリングの基本に忠実で「受け身の天才」とも言われてきた。
岩石落としとも言われるプロレス技「バックドロップ」は後方から相手を抱え上げ真っ逆さまに後頭部を叩きつける技。死因は不明だが、基本とも言われるプロレス技で受け身に失敗したとも思えない。観客の一人は「お客さんもザワザワするぐらい変だった。(最初から)三沢らしからぬ精彩を欠いた動きだった」と試合時の三沢さんの様子を話していた。
◆三沢 光晴(みさわ・みつはる)1962年6月18日、北海道・夕張市生まれ。46歳。81年8月に全日本プロレスでデビュー。以後、2代目タイガーマスクへの変身を経て全日本のエースに君臨。2000年8月に全日本を退団しノアを旗揚げし社長に就任。06年9月にはグローバル・レスリング連盟初代会長に就任した。得意技はエルボー。185センチ、118キロ。血液型O。
◆プロレスリング・ノア 2000年6月に全日本プロレスを離脱した三沢光晴を中心に結成されたプロレス団体。三沢を含む約50人の全日本離脱者が集まり、日本プロレス史上最大規模の団体となる。同年8月のディファ有明での旗揚げ戦以降、有明コロシアム、東京ドーム、日本武道館などで興行を開催。近年では全日本や新日本プロレスなど他団体との交流も見られる。地方興行の観客動員の減少や、今年に入って地上波テレビ中継が打ち切られるなど、近年は人気の低迷が目立っている。団体名の由来は旧約聖書に登場する「ノアの箱舟」から。
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