ラッシャー木村さん、安らかにお眠り下さいきのう24日、プロレスラーのラッシャー木村さんが亡くなりました。享年68歳でした。またも昭和のよき時代のプロレスラーが亡くなりました。プロレスファンとしてはとても悲しく、残念です。ご冥福をお祈りします。
私がラッシャー木村さんを知ったのは国際プロレス時代です。タイツ姿のストロングスタイルです。日本初の金網デスマッチを行い「金網の鬼」と呼ばれました。断り切れない性格と本人が話していたのが印象的です。
国際プロレスが崩壊後、新日本プロレス、そして全日本プロレス、ノアと渡って行きました。全日本プロレス時代の絶妙なマイクパフォーマンスは有名です。「マイクの鬼」と称されてそのパフォーマンスはウイットに富んで最高でした。晩年は前座試合で、永源選手や渕選手などと試合をし、試合後のマイクパフォーマンスをお客さんが心待ちにしていました。
私も金沢市にある産業展示館での試合は欠かさず観戦に行きました。永源選手とのシングル戦は全日本プロレス「明るく・楽しく・激しい」の明るく・楽しいプロレスでした。永源選手の「つば飛ばし」とラッシャー木村選手の得意技、クロスチョップ、ブルドッギング・ヘッドロックは見ごたえありました。
地元に勧進元の社長さんがいて、試合後一緒に飲んだことがあります。今は亡きジャンボ鶴田、川田利明、小橋健太とラッシャー木村選手が同席していました。とても穏やかでもの静かな方でした。サインも快くしていただいて、私にとっては宝物です。
ジャイアント馬場さんを「兄貴」と慕っていて、馬場さんと組んだファミリー軍団と永源率いる悪役商会との抗争?はお決まりもあり、楽しく前座試合を盛り上げていました。39年間の現役生活で7団体を渡り歩いたラッシャー木村選手、そのプロレス人生は、まさに激動の日本プロレス史を象徴するものでした。また一つ昭和のよきプロレスラーがいなくなりました。安らかにお眠り下さい。そしてありがとうございます。
ラッシャー木村さん「マイク名言集」「こんばんはラッシャー木村です」 新日本参戦を翌月に控え、リングで猪木と向き合った緊迫の第一声。場違いな礼儀正しさが笑いを誘った。ビートたけしのネタになり、たけし軍団にラッシャー板前が登場。
「あけましておめでとう」 場外リングアウト負け後に
「馬場、コノヤロー、てめえ」に続いていきなりあいさつ。以後、新年の恒例になる。
「嫁もらえ」 独身の渕正信ネタ。俳句に凝っていると明かし「
永源(遙)ちゃん あんたはいつも いい男」「大熊(元司)ちゃん あんたはよく見りゃ いい男」に続き
「渕選手 おまえは早く 嫁もらえ」「アニキ」 馬場!と呼び捨てていたが「
これだけ戦ってると、他人と思えなくなってくるんだ。一度でいいからアニキと呼ばせてくれよ」。以後、アニキが定着。
「アイシテル」 ジョー・ディートンへの呼びかけが恒例となり「
最近、毎シリーズ日本に来てるじゃないか。オレが好きなのか?」。ディートンは「キムラさん、アイシテマス!」
「名前を呼んだだけだよ」 泉田(純)!泉田!泉田!と連呼後のひと言
。「何か言ってもらいたいか?じゃあ、早く嫁さんもらいなさい」(スポニチより)